大分地方裁判所杵築支部 昭和35年(タ)1号 判決 1960年7月12日
原告 吉波ソヱこと芝田ソヱ
被告 吉波栄次
主文
原告と被告とを離婚する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
一 原告は、主文同旨の判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。
(一) 原告は、日本国民たる女子であるが、昭和二三年一月一六日、朝鮮人男子である被告と妻の氏を称する婚姻の届出を、大神村長(現在日出町)に対してなし、原告の現住所において同棲した。しかるに被告は、身持がわるく、昭和三〇年一二月頃から、近隣に住む松本アキノと情を通じ、昭和三一年七月下旬被告とアキノの間には、子供が生れた。その後被告は、松本アキノをも捨て、同じく原告の近隣に住む海金ヨシ子と情を通じ、同人と同棲するに至つたが、昭和三三年一〇月頃愛媛県方面に転出した由であり、その後原告に対しては何らの音信もなく、その所在は不明である。よつて被告との離婚を求める。
(二) ところで原告は、被告の右のような態度に耐えかね、被告と離婚する旨合意し、被告と共に協議離婚の届書を作成し、昭和三一年六月一日原告の本籍地役場である日出町大神支所に提出したところ、係員から「婚姻の際の夫婦の氏の協議に関する民法第七五〇条の規定は内鮮人間の婚姻については適用がないから氏を夫の氏に訂正する戸籍訂正申請書を提出するように」との勧告を受けたうえ、離婚届の受理を事実上拒まれたけれども、原告が被告と妻の氏を称する婚姻をなした趣旨は、婚姻によつて日本国民としての諸権利を喪失することがないようにするにあつたのであるから、原告は、役場係員の前記勧告には従わなかつた。しかるにその後原告は、本籍地役場から、昭和三二年六月二二日大分地方法務局杵築支局長の許可を得て、同年七月一日職権で夫の氏に戸籍訂正をなした旨の通知を受けた。
二 被告は、公示送達による呼出を受けたが、本件口頭弁論期日出頭せず、答弁書その他の準備書面をも提出しない。
三 原告は、立証として、甲第一、第二号証を提出し、証人上野新一の証言を援用した。
理由
一 公文書であるから真正に成立したものと認められる甲第一、第二号証及び証人上野新一の証言並びに弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実を認めることができる。
原告は、大分県速見郡大神村大字天神五、六〇九番地に本籍を有していた日本国民たる女子であるが、昭和二三年一月一六日、朝鮮人男子である被告と、大神村役場に婚姻の届出をなした。これより先原被告は、昭和二二年末頃から原告の右本籍地で同棲を始め、婚姻届提出の後もこれを継続したが、昭和三一年頃被告は、近隣に住む松本アキノと通じて子供までもうけるに至り、更にその後同村に住む海金ヨシ子と通じて同女と同棲し、やがて同女とともに八幡浜市に転居したもようであり、原告はその後被告から何らの音信をも受けず、被告の所在は不明である。
右のとおり認めることができ、これを左右するに足る証拠は存しない。
二 ところで被告は、朝鮮人なのであるから、終戦後朝鮮人が如何なる法律上の地位を有しているかについて考察しなければならない。
朝鮮は、明治四三年我国に合併され国庫としての地位を失つたのであつたが、今次大戦中カイロ宣言において「前記の三大国(米国、中国及び英国)は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」ものと宣言され、ポツダムの宣言において「カイロ宣言の条項は履行せらるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等(前記三大国)の決定する諸小島に局限せらるべし」と宣言せられ、昭和二〇年八月一四日日本国政府は、ポツダム宣言受諾の意思を表示し、同年九月二日日本国の代表者は、降伏文書をもつてポツダム宣言を受諾したのである。してみると、遅くとも昭和二〇年九月二日をもつて、朝鮮は我国の統治権から離れ、国家たる地位を回復したものというべきであり、また、朝鮮人は日本国籍を離れ、朝鮮の国籍を回復又は取得したものと解すべく、従来内地人、外地人間の法律関係の衝突規則、連絡規則であつた共通法は、朝鮮その他の外地に日本国の統治権が及ぶことを前提とする法律であつたところ、その前提が失われたことにより当然失効し、日本国民、朝鮮人間の法律関係の衝突規則、連絡規則としては、法例が適用せらるべきこととなつたものと解するのが相当である。
そこで昭和二三年一月一六日原被告がした婚姻は、法例第一三条に則り日本国の法律による方式に従うべきものと解すべきところ、前記のように、原被告は、原告の本籍地役場に婚姻の届出をなしたのであるから、適法な方式で婚姻をなしたものというべきである。
また右婚姻の成立要件につき審究するに、同じく法例第一三条により、各当事者につきその本国法によつてこれを定むべきである。そうして被告の本国法が何であるかにつき審究するに現在朝鮮には二個の政府が存在し、共に全朝鮮の正統政府たることを主張しつつ、現実にはほぼ北緯三八度線を境として南鮮及び北鮮を、それぞれ支配しているのであるから、被告の本国法を定めるについては法例第二七条第三項を準用するのが相当であり、被告の本籍は南鮮、すなわち大韓民国政府の支配する地域内に存するところ、被告が自らの意思で北鮮に送還された等特段の事情について何らかの資料が存すれば格別、本件においてはかような資料はないのであるから、被告の本国法は南鮮の法律であると認めるのが相当である。そうして右婚姻の当時南鮮には日本国旧民法と同一の内容をもつ身分法が実定法として行われていたのであるところ、右南鮮身分法及び原告の本国法たる日本国民法のいずれによるも、右婚姻の成立を妨ぐべき事由は見出し難い。してみると右婚姻は、適法に成立したものというべきである。
ところで前記甲第一、第二号証によると、原被告は、婚姻の届出をなすに際し、妻たる原告の氏を称する婚姻をなす旨届書に記載し、これを受理した戸籍事務管掌者も、その趣旨に副つて戸籍事務の処理をなしたことが認められるのであるけれども、前記のように既に外国人となつた被告と日本国民である原告との婚姻については、民法第七五〇条所定の氏の協議の規定は、適用がないものと解すべきであるから、右のような事務処理の方法は誤つていたものほかはない。また共通法が効力を失つていたことは前示のとおりであり、なお、当時施行されていた旧国籍法第一八条の規定によると、日本国民が外国人の妻となり夫の国籍を取得したときは日本の国籍を失うこととされていたけれども、当時南鮮において朝鮮人の妻となつた外国人が朝鮮の国籍を取得する旨の法律が存したものとは認め難いから(因に昭和二三年一二月二日に施行された大韓民国国籍法第三条には、その旨の規定が存する。)、原告は前記婚姻により日本の国籍を失わなかつたものというべきであり、前記甲第一号証によつて認め得るところの、昭和三二年七月一日戸籍事務管掌者がさきになした戸籍事務処理を職権で訂正し、原告が被告と同一戸籍に入籍したものとして原告を戸籍から除籍した事務処理もまた、誤つていたものというべきである。すなわち戸籍事務管掌者としては、原告の戸籍の身分事項欄に婚姻事項の記載をなしたうえ、そのまま原告を右戸籍内に止め置くべかりしものであり、現在においても戸籍事務管家者は、右のように職権訂正をなすべきであろう。
三 ところで法例第一六条によると、離婚はその原因たる事実の発生した時における夫の本国法によるべきものとされているのであり、大韓民国の法例には離婚につき反致の規定は存しない。そうして前示一の事実よりすれば、昭和三一年頃原告は被告から悪意で遺棄されたものというべきであるが、右は当時なお南鮮に行われていた前記身分法において離婚原因を構成するのであり(因に昭和三五年一月一日施行の大韓民国新民法第八四〇条においても離婚原因となる。)、日本国民法第七七〇条第一項第二号においても離婚原因とされているのである。してみると原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし、民事訴訟法第八九条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 乾達彦)